デジタル時代のイノベーションと著作権制限の柔軟な規定(フェア・ユース)

 日本の著作権法はデジタル化時代以前に作られています。新しい技術や著作物の活用方法が出てくるたびに、個別的に著作権の主張を制限してきました。その結果、著作権法の条文自体が極めてわかりにくいものになっています。

 日本の著作権法が邪魔をして日本ではグーグルのサービスが生まれなかった。iPodが生まれなかったと言われています。こうしたサービスが日本でもできるように後から著作権法は個別に改正されていますが、実際のサービスが具体的にはっきりしていないと法律改正を認めず、また改正までじかんがかかることから、世界のビジネスからは大きく遅れを取ってしまっています。海外でも認められているように著作物の利用が、「正当な利用」で「著しい不利益を生じさせない」のであれば、著作権制限をもっと広く認めるための規定を導入すべきではないかと思います。

 著作者が苦労して創り出した著作物ですから、知的財産権としての保護は大事です。しかし、知的財産権は有体物とは違い法律で権利を作り出し保護しています。人類社会の文化的発展に寄与するという法的保護の根拠を考えると、財産権だから他人が活用できなくても良い、使わせない権利がある、という議論は行き過ぎです。著作権者に不当な不利益を与えず、しっかりした活用であれば、一々、著作権の承諾を取らなくても良いようにしたほうが、新しいビジネ スは生まれやすくなるでしょう。一方で、デジタル社会では、著作権者の意向を無視して、著作物の無断使用が無制限に拡大していきます。著作権者の創作意図に全く反する使われ方もされかねません。実際、インターネットでは著作権者の承諾を得たとは思えない動画、画像、音楽、テキストなどのデータが氾濫しています。著作権者は所要量などの大対価を受け取る機会を大きく損なわれています。「柔軟な規定」の導入に慎重な人たちも、既に野放図な市場で被害を受けているのです。

 どういう場合に「柔軟な規定」を認めるか、法律、少なくともガイドラインなどで、明確である必要がありますが、あまり狭く解するのでは新しいサービスやイノベーションを生み出すことにはなりません。著作物を著作物として活用しない場合であっても、その著作物の一部を用い、外部に示すことによって利益が得られるのであれば、著作権者が何らかの対価を受け取ることがあっても良いように思います。かつて、PCやビデオ機器での録画、ダビングに関して、機器に課金する補償料を支払うということが行われました。機器に課金するというというのは、実際の使用とは違う議論ですからあまり賛成し難いのですが、実際の使用において使用された部分に応じて、妥当な範囲で何らかの対価が支払われることもあっても良いのではないでしょうか?使用の態様、その争い目的なども勘案して、著作権を制限する。一方で、その争いについてはADRを準備する。使用料の決め方についてのルール作りを行うなどの工夫があっても良いと思います。テクノロジーの発達で、音楽などはメロディーなどをどの程度パクったのかも簡単に分析ができます。アナログで模倣品を追いかけていた時代とは違ってきています。著作権者や著作権団体も、しっかり著作物に対するグリップを取り戻さなければ、著作権制度自体が崩壊してしまいます。

 デジタル化の時代にふさわしい著作権法、著作権のあり方を考えていくことは大事です。著作物には文化的著作物だけでなく、コンピューターのプログラムも含まれます。米国では、法律の規定が多少曖昧でも、将来の訴訟リスクを撮って新たなビジネスやサービスを始めようというベンチャーが沢山あります。日本では法的曖昧さを残して走り出す民間企業は極めて限られています。それだけに、法律でしっかり早めに対応して行く必要があります。スピードの速いデジタル時代では、こうした取り組みに時間をかける意味はありません。関係者の意見をしっかり聞きながら、少しでも早く著作権法の見直しを進めるべきです。